この記事では、日本のプロレス団体「新日本プロレス」について、会社経営という視点で語っています。


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この記事は、前回投稿した、新日本プロレスにみる、日本企業復興のカギ?(混迷編1)の続きです。

縮小傾向にある、日本のプロレス界における、業界最大手の新日本プロレスが

混迷1:売り上げの減少
混迷2:社員の離脱
混迷3:迷走する経営

と、落ちぶれていく様子を振り返りました。第2回にあたる今回は、凋落の原因を探ってみます。


私が考える、新日本プロレスが凋落していった原因は4つです。

原因1:大会場へのこだわり
原因2:自前レスラーの軽視、外敵偏重
原因3:中途半端な格闘技路線
原因4:独裁政権による迷走


1つ1つ解説してみます。


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原因1:大会場へのこだわり

新日本はいちばん多いときで、年間4回もドーム大会を開催していました。全盛期こそ満員続出でしたが、しだいに息切れしていたように感じます。ファンが埋まっていないのに、ドーム大会をやり続けるのは、さぞ赤字を垂れ流したことでしょう。会場を抑えるお金だけでなく、ドーム大会にみあった「大物ゲスト」を呼ぶために払ったギャラも相当な額だったはずです。

2000年代前半には、新日本はほとんどのドーム大会を撤退し、1月4日の東京ドーム大会を開催するだけになっていましたが、それでも「なんで新日本は客席埋まらないのにいまだにドーム大会をやるんですかね?」とプロレス好きな先輩に疑問をぶつけた記憶があります。

(なお、先輩の回答は「1月4日のドーム大会すら開催しなくなったら、『新日本は本当にヤバい』と思われるから、意地でもやるんじゃないか?」というものでした。確かにその通りで、ここは結果OKだったかもしれません)



原因2:自前レスラーの軽視、外敵偏重

レスラー(≒会社でいう社員)が離脱し続けた次期の新日本プロレスに多く見られた傾向です。

暗黒期、新日本所属のレスラーは、ひたすら外敵に負けていました。外部団体と交流して、悪いところばかり目立つ負け方もしていました。
(例:当時売り出し始めた棚橋をNOAHのドーム大会に投入するも、NOAHのチャンピオンだった力皇に惨敗)

さらに、若手を軽視して、ベテランを重視していた時期もありました。
確かに、若手よりベテランの方が人気も知名度もあるので、集客を考えると仕方ない面はあります。ただ、動けなくなってきたベテランを使い続けても、過去の貯金を食いつぶすだけで、未来はありません。その一方で、長年新日本に貢献してきた一部のベテランレスラーをリストラしたりして、所属選手からすると、「明日が見えない」状態が続いていたように感じました。
(ヒロ斉藤や後藤達俊のリストラ。一方で長州や星野勘太郎が幅を利かせたりしてた)



原因3:中途半端な格闘技路線

とりわけ新日本プロレスが勢いを失った一番の原因は、2000年代に栄華を極めた、格闘技ブーム(格闘技バブル)でしょう。新日本プロレスが動員に苦戦するのを尻目に、客層がやや被るPRIDEやK-1は、ドームやさいたまスーパーアリーナといった大会場を満員にさせていました。

特に、プロレスと違う「真剣勝負」のPRIDEの人気は凄まじいものがありました。私も予約電話をかけまくって、さいたまスーパーアリーナにミルコ対ヒョードルを見にかけつけたものです。総合格闘技とプロレスを現地で見た結果、プロレスには総合格闘技にはない魅力が沢山詰まっていることがよくわかりましたが、新日本プロレスは、あろうことか総合格闘技のフィールドに真っ向から対抗してしまいました。格闘技に慣れ親しんだ格闘技&プロレスファン(厳密には全く違うジャンルですが、ファン層がかぶっていたのも事実でしょう)に対して、「なんちゃって格闘技プロレス」を提供してしまったのです。

これが現在、桜庭などが上がっているなかで叫ばれる「新日本暗黒時代」です。

(例:永田さん絶対王者時代…ハイキックや腕ひしぎの多用、アルティメットクラッシュ)

PRIDEに流れたファンを引き戻すどころか、「なにあれ…」と失笑され、ファン離れを引き起こしていたのでしょう。プロレス好きだった私も、こればかりは擁護する言葉がありませんでした。



原因4:独裁政権による迷走

新日本プロレス、というと創始者でもある「アントニオ猪木」の存在が切り離せません。

2000年代の新日本の社長は、藤波→草間→サイモン猪木というように移り変わっていきました。
しかし、いずれも「傀儡政権」と揶揄されがちなものでした。"経営コンサルタント"の肩書きを持つ草間さん以外は、猪木の後輩やら猪木の娘婿と、オーナーである猪木の言いなりだった印象があります。

ある程度、ストーリーやら構想があるのに、オーナーがつれてきた外敵のせいで、ストーリーが分断されたり、というみていてイライラする展開が続きました。

猪木としては、選手に発破をかけるべく、適度に刺激を注入していたのかもしれません。ただ、ニーズを読まないオーナーが、気まぐれに経営に口を出しているようにも見えました。

<例>
・ブロックレスナー連れてくるも、ベルト持ち逃げされる
・ドーム大会のカードに口出して、カードが二転三転
・格闘技畑の人をたくさん連れてきて、無理矢理カードに入れる
(多くは想像込み)


…ここまで書いてみると、ダメな会社に共通するものが沢山見つかります。まとめますと


原因1:大会場へのこだわり = 身の丈に合わない商売
→撤退時期を見誤った事業のせいで、赤字拡大


原因2:自前レスラーの軽視、外敵偏重 = いびつな人事
→即戦力とか縁故採用の中堅社員を偏重した結果、若手も中堅も腐って、士気が下がる


原因3:中途半端な格闘技路線 = 流行への中途半端な迎合
→自社の得意な分野を一切無視して、流行に乗っかろうとして失敗する


原因4:独裁政権による迷走 = オーナー独裁者の存在
→思いつき(にしか見えない言動)で、現場が振り回される


会社に入るまで、新日本プロレスのゴタゴタって人ごとだと思ってましたが、多かれ少なかれ、似たようなところは自分の会社にもあり、案外身近な問題だったことに気づきました。

しかし、新日本プロレスはこの惨状を乗り越えて、復興しつつあります。
暗い話はこの辺で切り上げて、次回から明るい話をしていこうと思います。



2003年5月の東京ドーム「アルティメットクラッシュ」
Amazonに書いてある商品説明だと、謙吾vsLYOTO、藤田vs中西、エンセンvs村上、DVDジャケットは小橋…ほとんど外部の人じゃん!ガラガラかと思ってましたが、小橋効果で動員は良かった模様。、記憶の中で観客動員数はウヤムヤになるんですね。

おまけ

当時人気だった鬼束ちひろさんのライブ。なんとULTIMATE CRUSHというタイトル!
縁起でもない…と思いきや、こちらの方が先にあったようです。


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