この記事では、日本のプロレス団体「新日本プロレス」について、会社経営という視点で語っています。


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※この記事は、過去に別ブログで公開していたものの再掲です。

私は、20年くらい前から新日本プロレスが好きでした。

小学生の頃、夕方に放送されていた新日本プロレスの中継を見ていたころから何となく好きだったんですが、本格的にはまったのは、2001年に大学に入り、夜更かしするようになってからです。

深夜に放送されていた新日本プロレスやノアの中継を見始めたのと、周囲にプロレスオタクな先輩方が多かった事もあり、徐々にどっぷりとはまっていきました。(インディーレスラーもだいたい顔と名前が一致するレベル)
現在では大日本プロレスなどにはまっていますが、小学校の頃に見ていたのが新日本プロレスだったこともあり、 いわゆるメジャー団体の中では、ノアや全日本プロレスよりは新日本プロレスを応援していました。

ただ、私が見始めたころは、K-1やらPRIDEといった格闘技全盛期で、プロレス人気は下り坂でした。とくに業界最大手である新日本プロレスの凋落っぷりがひどかったです。混迷を極め、もはや新日本プロレスは終わった…と本気で思ったこともありました。


混迷っぷりを象徴していると感じた、混迷の状況は次の3つでした。



混迷1:興行の空席が増加した

新日本プロレスは2000年前半頃には、年に3~4回のドーム大会を開催していました。ただ、人気が下り坂になっていたこともあり、空席が目立つようになっていました。
数万人収納できるドームを埋めるのは至難の業だったとは思いますが、空席が多いと盛り上がりを欠き、さぞ来場者の満足度は低下した事と思います。

ひどいときには、ドームどころか後楽園ホール(定員2,000名弱)がガラガラに感じるくらい、集客に苦戦していたように思います。

(例:2008年の外道vs 星野勘太郎 のエニウェアフォールマッチの観客動員は1800人ということでしたが、どうみても1,000人程度でした)



混迷2:選手がどんどん離脱した

新日本プロレスは、業界最大手の団体だけあって、定期的に若手選手が入団し、育っていきます。
しかし、2000年代中盤から、若手もベテランも、ひいてはスタッフも、どんどんと離脱していきました。
リストラ的な選手も多かった印象はありますが、自分の意志で新日本プロレスを離れる選手が多かった印象です。(武藤、小島、佐々木、柴田、など)また、沈み行く舟からネズミが逃げるがごとく、若手選手も離脱していた印象があります。(安沢、健想?)


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混迷3:よくわからないコンセプトの興行が増えた

2000年代中盤には、人気回復を狙っているのか、ネタなのか、よくわからない興行が散見されました。

・格闘技もどきの興行「アルティメットクラッシュ」
・当時人気の「ハッスル」の劣化パクリ?「レッスルランド」
・出戻った長州力の受け皿(=天下り団体?)「ロックアップ」

応援したいファンを置いてきぼりにするかのような興行がたくさん開催されていた印象があります。


これは、つぶれゆく悪い会社の構図そのものです。

混迷1:売り上げの減少
混迷2:社員の離脱
混迷3:迷走する経営
→昔からの顧客がどんどん離れていく…

もはや残された道は、倒産のみ。顧客にも選手にも見放され、迷走する新日本プロレス。

でも、ここから奇跡的に盛り返していると私は思います。

盛り返した秘訣が気になりますが、次回は、ここまでヒドい状況に陥った理由について、突き詰めてみたいと思います。いったい何が原因だったのでしょう?


2005年は、棚橋中邑から、蝶野天山がタッグベルトを奪取したみたいです。記憶ないや。



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